味岡組の重機・機材(昭和36年) |
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生コンの材料となる川砂利の採集(昭和36年) |
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採集した川砂利の運搬(昭和36年) |
ルーツは、父が起こした「味岡組」
現在、私が代表取締役を務める味岡グループは、平成2年に熊本県球磨郡錦町で、小さな建設作業着や工具の専門店(のちの味岡安全機材株式会社)を開業したところからスタートしました。
しかし、「味岡」としての事業の礎を築いたのは、父・章です。戦前、兵庫県芦屋で内地の軍事施設建設に携わっていた父は、戦後、生まれ故郷の人吉・球磨に戻り、 当時貴重品だった生ゴムを仕入れて、再生タイヤや自転車の販売を行っていました。その後、私が小学生のころ(昭和30年前後)、人吉の水上村に市房ダムが建設されるのに合わせ「味岡組」を立ち上げ、ダム建設や周辺道路の整備に不可欠な建設資材「川砂利」を扱うようになりました。特に、ダム建設のために周辺に整備された道路他、砂防などのコンクリート材料のほとんどは、味岡組から納められていたと聞きました。
当時は、生コンの原料に川砂利を使っていましたので、川で採取した砂利を船で運び、それをトラックに積んで現場まで持って行っていました。事業はすこぶる順調でどんどん忙しくなり、組のトラックの台数が次第に増えていったのを覚えています。
その後、父は建設業をはじめ、さまざまな事業を展開し、私を含め、6人いた兄弟たちもそれぞれ仕事を手伝うようになりました。今にして思えば、独立して事業を立ち上げた私が、その中心に生コンクリート事業を据えているのも、ルーツともいえる味岡組からつながる不思議な縁を感じます。
味岡組 砂利プラント(昭和38年) |
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人吉・球磨周辺道路の整備工事(昭和38年) |
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当時の人吉・球磨の工事風景(昭和38年) |
信じた道を歩み、成長を続ける企業に
先にも記した通り、それまで勤めていた味岡建設グループを辞めた私は、平成2年に作業着や工具の専門店を開業しました。翌平成3年に「味岡株式会社」を設立し、一人の経営者として独立した道を歩むことになりました。
まず手掛けたのは、仮設機材や建設機械などをレンタル・リースする「味岡リース株式会社」です。創業間もない私にとって、さまざまな出来事が“いい思い出”ですが、中でも特に強く印象に残っているのは、当時まだ珍しかった半水洗式の仮設トイレを導入した時のことです。八代市で行われた建設資材の展示会をたまたま訪れた私に、水洗仮設トイレの業者が熱心に営業を掛けてきました。私も興味を持ち、その後、四国でこのトイレを導入しているリース会社の視察にも行きました。
「仮設トイレも清潔さが必要。これはいけるかもしれない。」そう思い一度に100基を注文しましたが、最初の数カ月はまったくレンタルの注文のない状態が続き、在庫をさばくために1台ずつ売っていたところ、それが評判を呼び徐々にレンタルの注文も増え、建設現場やイベントなどで引っ張りだことなりました。
その成功をきっかけに会社も少しずつ成長した平成6年。宮崎県の諸塚村に生コンクリート工場を買収したのを機に、本格的に生コンクリート事業に参入を開始しました。ここから現在の味岡生コンクリートグループが形作られていきました。
味岡生コンクリート落成(昭和47年) |
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その当時、最先端の設備が揃えられた工場 |
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自社だけでなく“仲間”と共に共存共栄で発展を!
味岡グループの「核」とも言える生コンクリート事業。全国に13社21工場を有する全国屈指の事業者に成長しました。熊本、九州内はもとより、滋賀県まで西日本一円に事業を拡大し、今後は東日本を含めた全国に 「味岡生コン」の工場を増やしていければと考えています。
しかし、私が願うのは単に当グループの発展だけではなく、生コン業界全体が共存・共栄しながら、それぞれの事業を継続させていくことです。ご存知のように、コンクリートは建造物の建設、道路や橋などの公共工事に欠かせないもので、国の根幹を支える資材といっても過言ではありません。そのコンクリートを扱う業者同士が、互いの利益ばかりを優先して価格競争に明け暮れたり、大きな業者が小さな業者を駆逐していたのでは、業界全体の発展はなく、発注者からの信用や信頼も得られません。
そのためになくてはならないのが「組合」の存在です。適正な価格を維持し、加盟する事業者に平等に仕事が行き渡るよう融通し合うことが業界全体の発展に繋がると確信しています。高度成長が終わりを告げ、以前ほど公共工事も多くない今だからこそ、業界が一致団結する必要があるのです。そうした思いから、私は進出した各地で組合をリードし、また組合がなければ新たに作って、事あるごとに結束を呼び掛けています。そのせいでしょうか。近年は、他県の多くの事業者から、「うちの工場を買ってもらえないか」というお話も数多くいただきます。
私を信頼し、会社を任せていただく決心をされた方々のためにも、これからも業界全体に目を向け、共に成長できるよう先頭に立って尽力していくことが私の使命だと思っています。
宮崎味岡生コンクリート第一工場諸塚(平成6年) |
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長崎味岡生コンクリート 第一工場島原(平成9年) |
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味岡生コンクリートが掲げる、これからの目標
現在に至るまで、生コンクリートは、メーカーが製造・管理するセメントをメインに、水・骨材(細骨材及び粗骨材)・混和剤を練り混ぜて製造するのが一般的でした。そのような現状の中で、セメントの一部をフライアッシュに置換して使用する工場が徐々にではありますが増えてきています。
フライアッシュとは、石炭火力発電所で微粉炭をボイラ内で燃焼した際に発生する石炭灰のうち、電気集塵機で採取された灰を指します。このフライアッシュが、生コンクリート製造における原材料の一つとして、コンクリートの流動性の改善や水和熱の抑制、長期強度の増進、乾燥収縮の低減、アルカリ骨材反応の抑制など、コンクリートの品質を確保するうえで優れた特性をもつ材料となるのです。
東日本大震災の発生以来、日本では脱原発の機運が高まってきています。事実、震災以降、原子力発電所が全て停止していた時にフル稼働していたのは、火力発電所でした。この時にフライアッシュが大量に発生していましたが、実は産業廃棄物として埋め立てられ処分されていました。生コンクリートの材料としてフライッシュを有効活用することは、何より、世界的に求められているゼロエミッションの観点からも大いに意味があります。
このような品質面や環境面で優位性があるフライアッシュは、近年特に注目されてきてはいますが、今までの生コンクリート製造における慣例等により、その普及はなかなか進んでいないのが現状です。
そこで、活用推進の機運を広めるために、まずは熊本県で全国を対象とした協議会を設立し、我々のグループがその中心となって進めていこうと企画しています。まずは、既にフライアッシュを使用して製造を行っている事業者に会員となってもらい、お互いに連携しながら、活用推進の啓蒙活動を展開し、九州そして全国へとフライアッシュ活用の輪を広げていくことが狙いです。そして、そのことが地球環境保護にも少なからず貢献することを確信しています。